2009年3月29日日曜日

生物から見ちゃったらこうなった

生物から見た世界 
ユクスキュル/クリサート著
日高敏隆 • 羽田節子 訳


見たり、聞いたり、触ったり、して認識しているもの。
そこにあると信じて疑わないものがあるとして、
認識されないものの広がりを意識したとき、
ちょっとゾッとするという感じがたまりません。
とくに人間はコトバと意味によって知覚された世界を恣意的に区分および取捨選択しているらしいので、
それを知覚に次ぐ第二のフィルターとして考えたときに、
人間の限界とか神とかよりも、
やっぱりカオティックで豊穣な世界を意識してしまってワクワクします。

例えば、茂みの中のダニが動物をターゲットして、
血を吸う時、
「いひひ、向こうからまるまる太った
うまそうな犬がやってきたゾ〜。
長い事こんな辺鄙な場所で、
待ち伏せした甲斐があったナァ。
ジュルリ。」
と思っているという事は一切なく、目も耳も無いので、
表皮全体に分布する光覚で見張り場所を探して、
動物からでる酪酸のにおいに反応してくっつき、
体温の温度で毛の無い場所を見つけて噛み付くだけらしいです。
つまりダニには明るいとか暗いとか酪酸のにおいとか動物の温度とかしかない世界で生きているのです。
「ダニを取り囲む豊かな世界は崩れ去り、重要なものとしてはわずか3つの知覚標識と3つの作用標識の貧弱な姿に、つまりダニの貧弱な『環世界』に変わる。」
それぞれの生物にはそれぞれ認識できる知覚標識とか作用標識によって、
認識できる世界、つまり『環世界』があるというわけです。

人間も当然人間の『環世界』の中で生きているので、
その外側もあり、
その広がりとか認識することの恣意性とかに思いを巡らせたときに、
ゾッとしたりワクワクしたりしてしまいました。

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