大乗寺というお寺にいってきました。
老け込んだとか、信心深くなったとかいうわけではなく、
(知らぬ間にそうなっとるかもしれませんが)
絵を見る為にです。
円山応挙さんという
江戸時代の絵描きさんにゆかりのお寺で、
お寺のふすまに絵が描かれていて、
一つ一つコンセプトが決められた部屋がいくつもあり
その計算し尽くされた配置によって、
立体的な曼荼羅になっているそうです。
マンダラ!という密教な響きに魅せられて
温泉旅行のついでについつい立ち寄ってしまったのでした。
お寺の中に入るとホントにのほとんどの「ふすま」に、
絵が描かれていました。
部屋ごとにコンセプトがありまして、
孔雀の間というのがすごかった。
金箔が一面にまんべんなく塗られたなんともゴージャスなふすまに、
水墨画で非常に緻密に写生的に松と孔雀が描かれているのですが、
それが二十畳くらいの部屋の前と左右の一面にあります。
最初はキンキラキンで、なんだかくらくらしてしまいました。
が、それは蛍光灯のせいでした。
蛍光灯の光はここ百年くらいで人間の色の感覚というか、
現実感をより病的な方向にかなりかえてしまったのではないかと思うのです。
光が充満することで、
それに張り付いている影の部分、
想像の余地、空想の領域をひっぺがして、
それを素材の領域にもどしてしまう。
僕が今見ているのは
金箔で、墨で、デジタル再生画で、
前にいるおじさんのつむじはとけいまわりで、
あぁ、さむいなぁさっきなんでトイレにいかなかったんだろう。
かえりはタクシーでかえるしかないのかな
という事になりかねないのです。
つまりこういうものは、日や、月や、火などの
なるべく自然な光のもとで見てみないと、
全然よくない!
と非常に感じました。
蛍光灯を消してもらい自然光のやわらかい光のもとで見ると、
それはデジタル再生画でもなんでもよくなってしまったのです。
影によって「場」に緊張感が充ち、
金箔が光を反射し、
反射しない黒が光によって縁取られて
孔雀や松を浮かび上がらせたので、
浮世から何千里と離れた感じがしました。
江戸時代、
レテビもねぇ、ラジオもねぇ時代の人が、
これを見たときの感動を味わうことは
先天的に無理な私たちですが、
その片鱗に触れた気がして、
とてもしびれた一日でした。
大乗寺デジタルミュージアム↓
http://museum.daijyoji.or.jp/
城崎温泉の帰りに行ってきました。
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