2009年3月31日火曜日

Just a Souvenir


Just a Souvenir
Squarepusher

フュージョン?ロック?ムンベ?
トーマスの頭の中に入ったら常にこんな音楽が流れてそう。
他人の白昼夢に足を踏み入れたかのうような違和感がある。
それを世界に再構築するのがすごい。
ベースの技巧とエディットの緻密さ。
病的なまでの執着と燃ゆる熱意がなければなせぬ技。
権力への意思」とかいうのを感じちゃったりする。
(なんて染まりやすいんだ。)

ニーチェ先生ありがとう


ニーチェってすごいらしいので、
とりあえず読んどかな
という不純な動機から
ツァラトゥストラかく語りき
などを読んで、
すごい人が山ごもりして、
町に降りたら綱渡りしてる人が落っこちて。。。
なんじゃこりゃ。超人?
「神は死んだ」
おお、なんと力強い言葉の数々。
オラなんだか元気がでてきたゾ
的な読み方をしつつ、

結局、一ヶ月ぐらい放置状態が続いていましたが、
書店の目立つところに「ニーチェ」の文字が踊っているのをみて
なぁーにぃ「いたこ」だとぉ
と言う感じで手に取ってしまいました。

非常に読みやすい本で、読了してからニーチェの雰囲気が何となくわかったかもと思いました。

プラトン〜パウロ〜カント〜僕
イデア〜キリスト教〜ドイツ観念論(?)〜民主主義、平等
という負のスパイラルが世界をダメにしているということとか

普遍的な真理といった幻想なんぞに時間を取られているヒマがあったら
自分で考えて真理を捏造(例えば永劫回帰)したうえでそれを克服して
立派な人間になりなさい(めざせ超人)。とか

非常に攻撃的で本能をビシビシ刺激する感じで、
ついルサンチマンで内向的になりがちな僕を叱咤してくれるのでした。

「いたこニーチェ」
適菜 収

2009年3月29日日曜日

生物から見ちゃったらこうなった

生物から見た世界 
ユクスキュル/クリサート著
日高敏隆 • 羽田節子 訳


見たり、聞いたり、触ったり、して認識しているもの。
そこにあると信じて疑わないものがあるとして、
認識されないものの広がりを意識したとき、
ちょっとゾッとするという感じがたまりません。
とくに人間はコトバと意味によって知覚された世界を恣意的に区分および取捨選択しているらしいので、
それを知覚に次ぐ第二のフィルターとして考えたときに、
人間の限界とか神とかよりも、
やっぱりカオティックで豊穣な世界を意識してしまってワクワクします。

例えば、茂みの中のダニが動物をターゲットして、
血を吸う時、
「いひひ、向こうからまるまる太った
うまそうな犬がやってきたゾ〜。
長い事こんな辺鄙な場所で、
待ち伏せした甲斐があったナァ。
ジュルリ。」
と思っているという事は一切なく、目も耳も無いので、
表皮全体に分布する光覚で見張り場所を探して、
動物からでる酪酸のにおいに反応してくっつき、
体温の温度で毛の無い場所を見つけて噛み付くだけらしいです。
つまりダニには明るいとか暗いとか酪酸のにおいとか動物の温度とかしかない世界で生きているのです。
「ダニを取り囲む豊かな世界は崩れ去り、重要なものとしてはわずか3つの知覚標識と3つの作用標識の貧弱な姿に、つまりダニの貧弱な『環世界』に変わる。」
それぞれの生物にはそれぞれ認識できる知覚標識とか作用標識によって、
認識できる世界、つまり『環世界』があるというわけです。

人間も当然人間の『環世界』の中で生きているので、
その外側もあり、
その広がりとか認識することの恣意性とかに思いを巡らせたときに、
ゾッとしたりワクワクしたりしてしまいました。

音と字とメメ

一週間ほど前から、右目の上のまぶたの端が著しく痙攣します。
因果論的判断を下せば当然目が疲れたからというかたちで帰結し、
目をいたわりなさい、さっさと寝てしまいなさい、とくる訳ですが、
「そうしたくない。」
「目が痙攣してブログが書きたくなったです。」

ということで
いろいろ読んだり聞いたりして処理したことを、
ぼくの頭の中の消しゴム(こいつが自慢のとても高性能なハイテク消しゴムです)
が消していくのに任せるくらいであれば、
人様に迷惑でない場所にでもぶちまけて(ここが肝心)
その残り香をたのしみ
その二ヶ月後ぐらいにその臭気におおいにに恥じ入りたいなぁと
思い立ったわけです。

書評や音楽のレビューでも書いていきます。